Tokyo HackerSpaceと多様性の話

Tokyo HackerSpaceさてさて、昨日のTokyo HackerSpaceの話の続きだよ。
思うところあって昨日の記事のタイトル書き換えた。

今度は「初めて来た人向けの心得とかいって、これとこれとこれを英語でも日本語でもいいから、自分から紹介しましょう、みたいなルール(ルールというと強く聞こえるからガイド?)がどこかに記載されていたらいいんじゃないかなと思います。何らかのきっかけになる何かがあるといいのですが」という意見がきたよ。

先日イベントの時にジョーイが云っていたのは、オープンなコミュニティが陥りやすいのは、運営側が疲れてしまうこと。オープンが故にいろいろな人が来るので、必ずしもそのコミュニティーにとって喜ばしい人ばかりとは限らない。そうすると、それを避けるためのルールができて…。
フムフム、その通りだよ。人が増えるに従い円滑な運営のためにルールができるのは必然のことと思うわ。
と同時に、多様性を受け入れる話とぶつかる気がしてしょうがないんだけど。
「俺らは自分から自己紹介するけど、そうじゃない文化もあるんだよね」という理解が進めば、またちょっと雰囲気違うんじゃね?

この話、日本人にとっては言語の問題と文化の問題という2重の壁が立ち上がってるんじゃないかと思ったんだけどさ、日本人だってその昔は仁義を切るとかあった訳でしょ。そういう文化は歴史上葬られちゃったのかね? それともものすごく特殊な限られた世界の話なんだろうか?
日本人は日本人のやり方、みたいのはどうなの?

こういう話もあるよ。
もう2年ぐらい小学校でScratchのワークショップやってるんだけど、某大御所からは「Demo or die」とか云われてる訳よ。
なのでワークショップの最後はみんながその日取り組んだものを発表することにしてた。←ここは過去形な。
初めの頃よく来てた、なかなか出来る女の子がいたんだけど、彼女、途中から来なくなって、お母さんに会った時に聞いたら、みんなの前で発表するのがどうもいやらしい、っていう話。
この活動はプログラミングというものがある、ってことを知る機会を誰にでも与えるのが目的だから、来るものは拒まずというのがあって、基本誰でも受け入れることにしてる。想定より人数が増えても断らない。
みんなの前で発表するのが嫌だから来ない、っていう理由はかなり悲しい出来事な訳よ。
それ位以来、発表したい人は発表する、したくない人はしなくていい、というふうにしてる。ワークショップとしては締まらないけどね。

なので、THSってどうなの? って聞かれた時は、自分から行った方がいいよ、って助言はするけど、それがウェブサイトとかに書かれてたら、俺だったら引いちゃうわ。

OtOMOや小学校のワークショップに来るこどもたちを見てたり、いろいろなイベントに参加した上で云うとだね、人前できちんと話せるとか、発表できるっていうのは生きてく上で重要なスキルだと思う訳。そういうことが苦手だからって死ぬことはないけどやっぱり喋れるやつの方が得してると思うわ。
それも分かった上で、話さないっていうなら、そういう思想もありだけど、そこまでたどり着くのにどれだけかかることか…。
「Demo or die」

ちょっと取り留めのない話になってきたのでこの辺で。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です