Scratchと義務教育について考えてみた

昨日のTokyo HackerSpaceとは全然関係のない話を、いろいろな人が見てくれている様なので続きを書くよ。
Scratchと教育の話な。

プログラミングができると何がいいのか?

プログラミングができるってことは、物事を順序立てて考えられる、ってことだと思う。
さらには数学的なこととか、自然科学的なことにも興味が広がるんじゃないかな。
絵や音楽になじんで表現力が豊かになりました、みたいな感じ。
Scratchはプログラミングの導入には最適だと思うよ。マウス操作だけでほとんどのことができちゃうからね。
コードとかは英単語や歴史の年号覚えるのと同じように、向かない人には苦痛以外の何ものでもないからね。そう云う垣根を取り払ったことがすばらしと思う。
訳の分からない文字を打ち込んで、これがプログラミングです、ってやるよりは遥かにスマートだろ。
それで、プログラムを書く楽しさが分かったら、次のステップへ進めばいいじゃないか。

義務教育って何?

こどもにはいろいろな経験を積んでもらうべきだと思うし、まだ見たことも聞いたこともない選択肢があることを大人はこどもたちに教えてあげなくちゃいけないよ。
「微分積分なんて生きていく上で必要ない」とか云う話はよくあるんだけど、ただ普通に生活してるだけなら確かになんの役にも立たないね。数学だけじゃなくて中学、高校の教科はほとんどそうなんじゃないの。
でも、そう云うことを知ってるのと、知らないのでは、精神的な豊かさが全然違うと思うんだよね。
本が好きで、いろんな本をたくさん読んでる人は、いろんな言葉や表現方法を自然と身に付けてるし、英語や、母国語以外の言葉が話せれば世界中のもっとたくさんの情報に触れることができる。絵が書けたり、楽器が演奏できたりもそうだろ。
小中学校の先生に期待してるのは、おだてたりなだめたり、時には無理矢理でも、こども自信が「自分は何が得意なのか」分かるように導いてくださいね、ってことなんだけどな。
「好きなことやらせればいいじゃん」みたいな意見も当然あるんだけど、好きなことだけやってたんじゃ、ものすごい狭い世界しか知らないことになっちゃうよ。好きなことだけじゃなくて、嫌いなこともやってみる、って云うのが「義務」教育だろ。食わず嫌いは損してるんだぞ。

OtOMOのワークショップやこどもの学校でこどもにScratchを教えるじゃん。これは「義務」じゃないから、その時点である程度ふるいにかけた状態で、たいていの子は楽しそうにやって、喜んで帰っていくんだけど、それはScratchの敷居の低さからくるものだよね。いきなりC言語やりましょう、Javaやりましょう、とか云っても食いつかないでしょ。だから、いろんなところでScratchをやることには大賛成。

こどもはいろんな可能性を秘めてるのね、早くそのことに気がついて、何に向いているのか悟って、人一倍の努力をする、って云うのが成功への道筋だと思うよ。
ただ、大人の意見としては、ここ最近の傾向として、何かに突出したヤツより、何やってもそこそこできる汎用性みたいのを要求されがちだからねー。均一化されちゃうよねー。
それと、得意なことと、好きなことは必ずしも一致する訳じゃない、ってことかな。
好きなこと、やりたいことが、得意なことの延長線上にあればいいんだけどね。それに気がつかずに路頭に迷っている大人がどれだけいることか…。
まぁ、がんばります。

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